【悲報】駄菓子を売って紙芝居を見せる紙芝居屋がついに絶滅
紙芝居屋の収入源は? そして正体は…
そんな紙芝居屋が、何で利益を得ていたのか知っていますか。街頭紙芝居はボランティアではなく、れっきとした商売でした。昭和の前半、全国津々浦々に紙芝居屋が現れたのは、商売として成り立っていたからです。
利益と聞いて、多くの人が真っ先に思いつくのは「見物料」でしょう。「子どもたちは見物料を支払って紙芝居を見ていた」と考えるのは自然といえます。しかし子ども達は、映画のようにチケットを買って見たわけではありません。買ったのは「飴」でした。
子どもから小銭を受け取ったおじさんは、箱から取り出した水飴などを渡します。これで商売成立。飴を買ってくれた子どもにのみ、紙芝居を見る権利が与えられるというシステムなのです。あくまでも売り物は飴で、紙芝居は人寄せの道具、オマケという立ち位置でした。
つまり紙芝居屋の正体は「飴屋」だったのです。本来的には大道芸人ではなく、行商人であり露天商でした。芸は人を寄せるためのもので、目的は品物を買ってもらうこと。バナナのたたき売りやガマの油売りの仲間といえます。
売られるものは最初は棒飴でしたが、次第に水飴など種類が増え、さらにソースせんべいなど他の駄菓子も加わりました。さながら「移動する駄菓子屋」だったため、町の駄菓子屋にライバル視された時代もあったそうです。
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Source: おいしいお
【悲報】駄菓子を売って紙芝居を見せる紙芝居屋がついに絶滅