【悲報】駄菓子を売って紙芝居を見せる紙芝居屋がついに絶滅

1 名前:名無しさん@涙目です。 投稿日:2019/06/15 12:49:03 ID:Mv2A7mFn0
昭和時代の娯楽の王様だった紙芝居屋のおっちゃんはいったい何者だったのか?

紙芝居屋の収入源は? そして正体は…
そんな紙芝居屋が、何で利益を得ていたのか知っていますか。街頭紙芝居はボランティアではなく、れっきとした商売でした。昭和の前半、全国津々浦々に紙芝居屋が現れたのは、商売として成り立っていたからです。

利益と聞いて、多くの人が真っ先に思いつくのは「見物料」でしょう。「子どもたちは見物料を支払って紙芝居を見ていた」と考えるのは自然といえます。しかし子ども達は、映画のようにチケットを買って見たわけではありません。買ったのは「飴」でした。

子どもから小銭を受け取ったおじさんは、箱から取り出した水飴などを渡します。これで商売成立。飴を買ってくれた子どもにのみ、紙芝居を見る権利が与えられるというシステムなのです。あくまでも売り物は飴で、紙芝居は人寄せの道具、オマケという立ち位置でした。

つまり紙芝居屋の正体は「飴屋」だったのです。本来的には大道芸人ではなく、行商人であり露天商でした。芸は人を寄せるためのもので、目的は品物を買ってもらうこと。バナナのたたき売りやガマの油売りの仲間といえます。

売られるものは最初は棒飴でしたが、次第に水飴など種類が増え、さらにソースせんべいなど他の駄菓子も加わりました。さながら「移動する駄菓子屋」だったため、町の駄菓子屋にライバル視された時代もあったそうです。

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Source: おいしいお
【悲報】駄菓子を売って紙芝居を見せる紙芝居屋がついに絶滅

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